11月29日  龍澤山 長圓禅寺Ⅰ

今日はお寺の紹介の前に、武蔵村山市の歴史を書きます。武蔵野台地の西辺りは、古くから村山郷と呼ばれていました。 「村山」という地名の起こりは、狭山丘陵の峰々を指した「群山」(むれやま)が訛って「村山」になったといわれています。「村山」の名前が初めて歴史に刻まれたのは、平安時代末期に登場した武蔵七党の一つ村山党でした、この村山党は、狭山丘陵の生産力を背景にした武士軍団で、「村山三里」という丘陵の南側が地形的に守りやすいことから、この地に根をはったといわれています。 明治4年11月、廃藩置県により、武州多摩郡中藤村、横田村、三つ木村、岸村が神奈川県に編入。明治26年4月、北多摩郡中藤村他3か村が神奈川県から東京府に編入される。 さらに昭和45年11月3日には市制が施行され現在に至っています。この時,市名は「村山市」となるはずでしたが、山形県に同名の市が有ったため緑豊かな武蔵野の(武蔵)を冠して「武蔵村山市」となりました。 北多摩郡が神奈川県だった・・・知りませんでした。

武蔵村山、田園風景 現在の住所表示は本町○○ 昔からの名称を残して欲しいと感じます。この辺は山口か馬場かな。

長圓禅寺0001_1

長圓禅寺正面、立派な松ですが・・・山門の全容が見えません。写真的にはカーブミラーが邪魔でした。

長圓禅寺0004_1

説明柱、景観的には良いのですが 老眼爺には一寸つらいかな。  羽村の菩薩像に似たものが有りました。  仏様を裏から写すのは罰あたりかなーと思いながらパチリ。

所沢市内の 實蔵院に有った十三重塔が此処にも有りました、比較的新しい塔に思われます。

T長圓禅寺0005長圓禅寺0034_1長圓禅寺0040_1長圓禅寺0024_1

松を避けて横から山門をみる。

長圓禅寺0017_1

このお寺は青梅野海禅寺の末寺だったという・・・詳しい説明書きは明日のブログにします。       naphiko tajima

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11月29日  龍澤山 長圓禅寺Ⅰ への2件のフィードバック

  1. kzmuraoka より:

    なるほど、獅子舞はここから出発するのですね。観音様左手に何を持たれているのかなあ? 純正の聖観音は(例えば薬師寺のものなど)両手手ぶらなのです。(爺)

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  2. kzmuraoka より:

    メールで送っていただいた画像を拝見しました。持ち物が珍しい! 左手に乗っているのは赤子にも見えますね。子育て系かなあ?子安観音とも違うみたいです。降参!
    (爺)

    いいね

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