12月22日  金龍山福正寺Ⅰ

残されたもの

阿豆佐味天神社をあとに福正寺へ向かう、途中に須賀神社があるはず(地図に標記あり)なのが見つからず、どうも丘陵の上の方らしいが等高線のない地図では現地の景色と合致しません。携帯電話にナビ機能の追加が出来ると助けになるのでしょうかね。神社はパスして殿ヶ谷をテクテク歩く。墓地が見えて来ました、丘陵に沿って歩いていたので、行きすぎてお寺の裏側に来てしまった。お寺の入り口。 総門。

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本堂。         境内にある、「たらようの木」瑞穂町天然記念物。葉に針で経を書いたと伝わるそうです、葉書の名は此処から来てる由、本当かな?

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仏殿・円通宝殿 総欅造(選佛場)(重宝)。 正面拡大。中央に龍、左右に獅子?の彫り物が気に入りました。

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左 。                      右。

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臨済宗正福寺、開基は600数十年前の禅宗臨済宗の古い寺。本山は鎌倉建長寺。 このお寺にも新しい豪華な山門、仁王、弁財天、五重塔,などが建てられています。どちらが良いか比較するつもりは有りません。   naohiko tajima

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12月22日  金龍山福正寺Ⅰ への3件のフィードバック

  1. kzmuraoka より:

    なかなか味のある彫刻ですね。私の手元にある「東京都の歴史散歩」という本によると、福正寺は立川にある普済寺の末寺だそうです。「村山氏」の菩提寺(土佐守義光の墓といわれる五輪塔あり)とも言われており、観音堂の観世音菩薩の台座に天正15(1587)年、村山土佐守義光が再建寄進したと記されている、とかかれています。なお、殿ヶ谷の「殿」は村山氏を指すという説もあるようです。なお、阿豆佐味天神社の社殿を修復(1482年)した村山土佐守とは100年ほど違うので、村山氏は代々、土佐守という名前を使っていたのか、あるいは村山氏を代表する架空の人物なのか、論議があるようです。(爺)

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    • kzmuraoka より:

      追伸:我が家にあった等高線入りの地図をみますと、阿豆佐味天神社から玉林寺公園に向かう道の右手の山のてっぺんに「大国主神社」というマークがあり、参道が書かれています。昭文社のエアリアマップ「福生・羽村市 瑞穂町」です。なお、福正寺の西南に幼稚園とくっついて観音堂がマークされています。これがブログ後半かな?(爺)

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