12月28日  新光寺

今日は所沢駅からの散策です。新開発が進み街の様相が一変したマンション街を通り抜けて日吉町ー東町ー有楽町ー宮本町の片道1.6キロのコースを辿りました。冬のビル街は日陰が多く、寒風が通り抜け散歩コースには不向きです。ビル街を過ぎて表通りから一歩入った場所にあるのですが、路地を曲がるとすぐに、唐風の目立つ山門が見えます。山門前の道端に旧鎌倉街道の標識があります。帰宅してしらべたところ旧街道はこの場所でいったん消えてしまっている由。 以下お寺の説明。 寺伝によると寺の創立はかなり古く、行基菩薩が彫ったとされる聖観音像を草堂に安置したのにはじまり、のちの建久四年(1193)源頼朝が鷹狩の途中に立ち寄った折に休憩した地を寄進し、元弘三年(1333)には新田義貞が鎌倉北条氏を滅ぼした帰路に立ち寄り土地を安堵したとされています。江戸時代には徳川幕府からも観音堂領として六石の朱印地を拝領し、また当時大切な運搬手段であった馬の慰労供養を営んだ観音祭りは大変賑わったそうです。

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道標。               山門。

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境内、観音像、鐘。                 鐘をズーム。作者名を探しましたが分かりませんでした。

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本堂。                        本堂の彫り物。

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境内には沢山の石像が置かれていますが、いずれも新しいものでした。 狭山33観音霊場第八番札所。

naohiko tajina 

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12月28日  新光寺 への1件のフィードバック

  1. kzmuraoka より:

    この観音堂は唐風なのでしょうか? 観音堂の形にも興味が湧いてきました。基本的には様式で作られた時代が分かるそうです・・・復元は別として。
    行基の作った観音像なるもの、秩父でも氾濫していました。行基さんは、大量生産技術があったのか、仏師をつれていたのか、興味が湧いてきます。好奇心は、若返りの妙薬!(爺)

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