1月29日 光明院

沿革

梅花山 光明院 天王寺 宗旨:真言宗豊山派 本尊:不動明王 当山は、西に旧鎌倉街道、南に古甲州街道と中世多摩川(後に多摩川支流市川)に面した場所に位置する。古の交通の要所であった、現在の分梅町周辺は、幾多の合戦の舞台となり、現在は「分倍河原古戦場」とよばれている。開山についての記録は無く、北条家の家臣 肥後守小川義継 が当地に祈願所を建てたのを開基とする。 其の後、戦国時代に至り,アジャリ祐秀が住職となり、現在に至る当山の基礎形作る。こてを持って中興開山とし、第一世住職としている。現住職は第二十世にあたる。

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不動明王。         荒神様。              修行大師像。

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弁財天。七福神の一人で,財福などの徳がある)天女、慶応年間より境外地の塚上の祠に祀られたいたが、平成八年七月,当時の木製弁財天像を胎内に納めて、現在の位置に青銅製弁財天として新たに建立。

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六地蔵。     本堂・斎場を合わせ持つ機能的なお寺ですが・・・?墓地に並ぶ多くの墓石とのバランスが馴染めませんでした。

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naohiko tajima

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1月29日 光明院 への2件のフィードバック

  1. kzmuraoka より:

    荒神様には、大別すると2系統あるようですね。一つは日本神話系の「荒ぶる神」・・・昔、我が家では、台所に神棚が造られていました。おばあちゃんの話では「かまどの神様」と行っていました。もう一つの系統は、中国で造られた偽経に現れる3種の荒神。石像になるのは後者でしょうか? いずれにせよ、「荒神様」は、へそを曲げると祟る「あばれもの」だそうですから、不敬のないようにしましょう。(爺)

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