3月 4日  川越 「街風景」

毎日お寺の話ばかりで、読んで頂く方が飽きてしまうかなーと思い、今日は少し視点を変えてみます。

現在の川越市人口33.4万人、所沢市人口33.6万人とほぼ同じ規模ですが。街の風格は川越の方が大分上だなーと実感しました。歴史の違いであろうと思い、川越城と山口城の歴史を比べてみます。  川越城の築城は1457年上杉氏家臣(太田道眞・太田道灌親子)から始まりー後北条氏家臣(大道寺氏)ー徳川氏家臣(酒井重忠)-松平康英)1869年(明治2年)まで約400年も城主が続いています。一方山口城は平安末期に村山党山口氏が築城ー後北条氏と共に滅び、廃城となっています。以後徳川の直轄地の鷹場として保護管理され、柳沢吉保の三富新田開発まで手付かずの森が広がる地域だったのでしょう。城下町として栄えた川越と、鎌倉街道の宿場町だつた所沢との差が今も残っているように思います。現在此処で生活されている人々の利便性は考慮されてませんか・・・。

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古い商家。     店先に並べられている小振りな雛人形。載せるのが一日遅かったですね。

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町内の山車蔵。           大正モダンの石造りの商店。

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埼玉りそな銀行。看板が上がっているので現役のようです。

川越街風景051_1

naohio tajima

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3月 4日  川越 「街風景」 への1件のフィードバック

  1. kzmuraoka より:

     田島さんはご存じのことでしょうが、読者のために一言。
     川越藩の藩主のことで、知って置いた方が良いとおもうのが、徳川時代、八人だったかな、老中、大老といった重要職についた人がここを担当していることです。それだけ江戸にとって重要なポジションになっていたわけです。ちょっと正確に調べます・・・大老が、酒井忠勝、柳沢吉保の二人、老中が、酒井忠利、堀田正盛、松平信綱、秋元喬知(たかとも)、秋元涼朝(すみとも)、松平康英の六人でした。このうちで、川越を町割をしっかり作ったのは松平信綱・・知恵伊豆です。そのほかの人たちも、川越の発展に力をつくしたようですね。所沢との違いは、やはり川越城があったという歴史の重さの違いかなあ・・(爺)

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