3月 8日  川越 「光西寺」

寺自体はごく普通なのですが説明看板に書かれている内容少し変わっていて面白いのです。徳川時代御禁制の外国交易をして発覚、奥州棚倉へ左遷(現・福島県)菩提寺だった寺も移転、其の後幕末に返り咲きして川越城主となる。お寺も一緒に来たものの2年後に明治新政府となって寺領も貰えず・・・。藩についてきた寺ということで士族寺とか、お伴寺とかよばれているそうです。 浜田藩は中国地方では珍しく転封の多かった藩で、古田家が家中騒動し、改易。播磨山崎より、松平康映が五万石ではいり、四代継ぐが、下総古河へ。 本多が三代継ぐが,三河岡崎へ。 三河岡崎より、松平康福ー康定ー康任と継ぎ康任は老中も勤めたが密貿易の発覚で棚倉へ左遷・・・。 間宮林蔵の事は末裔の方がブログで書かれていますので見てください。お寺に直接関係ないことを色々書きましたが、寺の看板に書かれていた事を調べてみると、歴史の繋がり、事件等が色々出て来て興味深いものがありました。尚川越市と福島県棚倉町は姉妹都市の関係を結んでいます。

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山門。                      山門の彫り物。

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境内。                   本堂。

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naohiko tajima

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3月 8日  川越 「光西寺」 への2件のフィードバック

  1. kzmuraoka より:

    面白いですね。藩について移動したお寺というのは、上杉の越後→米沢移封などでも発生しているように思いますが、上杉の例では同じ名前のお寺が両方にあるようです。(爺)

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  2. kzmuraoka より:

    うっかりしていましたが、この光西寺は、幕末最後の川越城主松平周防守の菩提寺になるわけですね。このかた本名は「松井」だそうで、松平は徳川家から賜った姓だとか、それで墓所には「松井家累代の墓」となっているそうです。(爺)

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