3月10日  川越 「東照宮」

すでに古刹の「中院」が有ったのに移動させて東照宮を造らせたのはなぜなんだろう?との疑問がよぎりました。東照宮と名がつくお宮はどの位の数が有るのか何処に有るのか、その理由は・・・。 「東照宮」と言えばすぐ頭に浮かぶのは日光東照宮、次に久能山東照宮、目前の仙波東照宮、しばらく考えて上野東照宮ぐらいしか浮かびません。調べてみました。東照宮は独立した宗教法人になっていて、全国東照宮連合会という組織もあるそうで、そこには北海道から九州までの40~50の東照宮が加盟している由。東照大権現、つまり徳川家康を神として祀った神社は全国に存在し、その数は500社を超そうです。

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仙波東照宮(川越)は、日光・久能山と並んで三大東照宮の一つと言われます。上野東照宮や家康ゆかりの地を差し置いて、どうして関東の片隅にある川越が重要な位置にあるのか。 家康の一周忌を迎えて、家康の遺体は久能山から日光に遷された。駿河の国を出た葬列は相模の国を通り、なぜか江戸を通らずに日光に向かったが、その途中川越の喜多院で4日間滞在・休養した。喜多院は、東照大権現という呼び名の発案者でもある天海僧正が住職を勤めた寺でもあるため ここに立ち寄ったのだろうか。これを記念んして?13年後の1633年に東照宮が建立された。蛇足ですが、以前に瑞穂町を車で通過した時に日光街道の道路標示を見て??と思った記憶が蘇りました。地図(現代の)で静岡ー日光を辿ると厚木までは東海道で以後は八王子ー瑞穂ー川越ー佐野ー宇都宮ー日光のコースが最短距離かつ相模川、多摩川を渡ることも避けられる安全な道筋だったのではと思いつきました。

説明看板。

喜多院002_1

石鳥居。                      石段。きっちり50段あります。

喜多院004_1  喜多院005_1

拝殿。ここは喜多院に隣接していますが50段の階段を登って来る観光客も少なく、しずかで落ち着いた雰囲気があります。

狛犬が向き合って置かれている。にらめっこ状態です?。何か意味ありそうですが・・・。

喜多院017_1

拝殿、幣殿の説明看板。  石燈籠の献備者と配置図。此の配置図の灯篭位置、寸法、献備者名をじっくり眺めてみると、当事者の権勢力や性格が出ている様にも思えて、かなり長い時間にらめっこしてしまいました。寺を移動させる程のことをやるのですから、灯篭の位置を変える位の事は有ったかもしれないなーなんて事まで考えてしまいました。現代庶民の勝手な想像ですが。

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拝殿左側の石燈籠。                拝殿右側の石燈籠。

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平唐門ごしの本殿。       狛犬左。正面を見てる。    狛犬右。正面を見てる。

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良く見かける狛犬は首を横に向けて侵入者を威嚇していますが、ここの狛犬は違います。

naohio tajima

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3月10日  川越 「東照宮」 への3件のフィードバック

  1. tkutsu より:

    左右の狛犬とも、その表情が面白い。喜多院には二度行きましたが、東照宮には気が付きませんでした。 沓掛

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  2. kzmuraoka より:

    この仙波東照宮は、独立した社格がない(つまり喜多院の内部組織?)と聞いています(読んだのかな?)。それと、元和3(1617)年、家康の遺骸を四日間とどまったのは、天海僧正が喜多院で大法要を営んだのだそうです。それを記念して(?)寛永10(1633)年に・・・ずいぶん後ですね・・・仙波東照宮を造った・・・川越藩の力を強大にする道具の一つなのでしょうね。(爺)

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  3. kzmuraoka より:

    追伸: この狛犬は、江戸城からの移籍だと書かれた記事が多いですね。何に使われていたのかまでの情報はまだ見付けていません。(爺)

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