3月11日  川越 「喜多院」Ⅰ

川越で一番名前が知られているお寺が喜多院です。平安時代、淳和天皇の勅により天長7年(830)慈覚大師円仁により創建された勅願所であって、本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天等を祀り、無量寿寺と名づけました。其の後,元久2年(1205)兵火で炎上の後、  永仁4年(1296)伏見天皇が尊海僧正に再興せしめられたとき、 慈恵大師(元三大師)を祀りし官田50石を寄せられ関東天台の中心となりました。正安3年(1301)後伏見天皇が東国580ヶ寺の本山たる勅書を下し、「星野山の山号」の勅額を下しました。更に天文6年(1537)北条氏綱、上杉朝定の兵火で炎上しました。慶長4年(1599)天海僧正(慈眼大師)は第27世の法灯を継ぎますが、慶長16年(1611)11月徳川家康公が川越を訪れた時親しく席巻しています。そして天海の意見により寺領4万8千坪及び500石を下し、酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改め、なた4代徳川家綱公のとき東照宮に200石を下すなど寺勢をふるいました。寛永15年(1638)1月川越大火で現存の山門を除きすべて焼失。そこで3代将軍家光は堀田加賀守正盛に命じて復興にかかり、江戸城紅葉山の別院を移築して、客殿、諸院等に当てました。家光誕生の間、春日局化粧の間があるのはそのためです。建物はほとんどが重要文化財に指定去れ、寺宝にも重要な美術工芸品を多く有しています。  天台宗星野山喜多院。 

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本堂。(慈恵堂)の内陣も拝観料を払って見学出来ましたが、撮影禁止です。五百羅漢の方は撮影出来ましたので、明日のブログに載せます。

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多宝塔。

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慈眼堂。(開山堂)天海僧正の木像が安置されています。

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慈眼堂裏手廟所。

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鐘楼門。

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naohiko tajima

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3月11日  川越 「喜多院」Ⅰ への1件のフィードバック

  1. kzmuraoka より:

    ここの多宝塔は「美」ですね。「匠明(しょうめい)」の「塔」の設計図通りのサンプルとは・・・このデザインブックは1608年発行だそうですから、30年後に通用したということに感心しています。現代では考えられない! (爺)

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