5月7日 東久留米「子の神社」

大圓寺脇のゆるい坂道を北に進むと子の神社です。文禄元年(1592)領主矢部藤九郎により本地仏は地蔵の勧請と伝えられる。神社名はもと[根上明神」と称した・・・・。詳しくは説明板をお読みください。

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子の神社説明板。大圓寺仁王門の前にあった、矢部藤九郎の墓の理由が分かりました。

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拝殿。                        拝殿横。

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子の神社境内。 除地4500坪と記されてますが、見た目ではそこまで広く感じません 周囲の森も含めればありかも。

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稲荷神社。神社の階段を下って、来た道を戻り曲橋に出ます。目黒川に沢山の鯉やハヤの様な魚が沢山いて、空中の虫を捉えるためか水面から飛びあがる小魚が見えましたが、コンデジではピントの合う時間が遅くて駄目です。橋を渡り南沢通りを南下して多聞寺へ。

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naohiko tajima

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5月7日 東久留米「子の神社」 への1件のフィードバック

  1. kzmuraoka より:

    子の神社というので、子の権現社の名残かと思ったのですが、全然関係ないのですね。大国主命が、地蔵尊だとは知りませんでした(本地仏というのは、仏様が神様として現れた時の「正体」というような意味です)。(爺)

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