10月17日 「修善寺」

皆さんがおみやげを物色している時間に、急いで修善寺の拝観して来ました。以下は修善寺縁起をコピーして記します。( 説明板にガラスがはめ込まれて読みにくいため。)

この寺の歴史は宗教的に、真言、臨済、曹洞の三つに区分することができます。創立は大同二年(807)で弘法大師とその弟子によって開かれ真言宗の寺で、当時はこの地一帯に密教形式の堂宇が建ち並び東国真言宗の拠点ともなった模様です。この時代の末期とも言うべき元久元年(1204)源頼家がこの地で殺害されています。本尊の大日如来像は、その母北条政子が頼家公の菩提のため、七回忌に当たる承元四年(1210)に実慶に造らせたことが、解体修理の結果わかりました。その後,寛元四年(1246)宋から渡来した蘭渓道隆禅師(鎌倉建長寺開山)が一時止住されたにが縁で宋の皇帝から勅額が下るほど修善寺の名が広がり、約二百四十年ほど臨済宗として栄えました。次は今の曹洞宗でありますが、いつの時代でも栄枯盛衰はつきもの、北条早雲が韮山城主になるや、戦禍によって見る影も無いほどに荒廃したこの寺の再興のため、自分の叔父に当たる隆渓繁紹禅師を住職として招き、広大な土地を寺領として寄進されたので復興することができました。禅師が入山されたのが延徳元年(1489)ですから既に五百年を過ぎて今日に至っています。( 注 )昔は住した僧の宗旨で寺の宗旨が変わりました。

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修善寺正面入り口。

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山門。

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本堂。背後の森と調和して、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

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本堂正面の木鼻。禅宗様、鎌倉時代に禅宗と共にの入ってきた宋の建築様式。

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本堂正面。額の周囲にも細かく彫刻が施されているように見えます。

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木鼻拡大。見事な彫り物です。五百年も昔のものでしょうか。

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鐘楼。見上げると圧倒されます。鐘の音を聞きたいと思いました。

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境内から見た本堂。と山門の内側。楓の木が多く紅葉の頃は一段と綺麗になりそうな境内です。

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naohiko tajima

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