県道481号、峠町ー軽井沢線を下りきると、国道18号線に突き当たります。此処も碓氷峠です話は脱線しますが、上州と信濃を隔てる山塊に、3本の自動車道が出来ていて、さらに昔は徒歩で峠越えした道が有ったと思われます。峠熊野神社を通る旧碓氷峠、国道18号の碓氷峠、18号碓氷バイパス道は入山峠、高速道は峠越え無しで大山トンネルとなるようです。
碓氷峠から軽井沢へ戻り、白糸ハイランドウエー、峰の茶屋、鬼押し出しへと車を走らせて今日の宿に向かいます。白糸の滝駐車場脇の氷のオブジェ、気温が氷点下のため、湧水をホースで流すだけで、氷のオブジェが出来るようです。寒いー。鬼押出し近くからの浅間山。
翌21日、北軽井沢の落葉樹林帯の中にある、桜岩地蔵尊へ、ナビ君の記憶に無いのか案内が不安定で、時々黙り込んでしまい当てになりません。少し迷いましたが無事に発見。
入り口左側に、桜岩地蔵尊の看板。右に六里ヶ原道しるべ観音の石柱があります。
200年もの昔、旅人の苦労を見かね、分去茶屋の助四朗爺ちゃんが六里ヶ原の道しるべとして観音仏が作られ、基点観音を中心に沓掛、大笹、狩宿の三方向に、それぞれ三十三体ずつ設置された。( この爺ちゃん、宣伝上手だったんだー 素直でなくて御免なさい。)
基点観音。 十二番。 二十七番。
十九番。 十六番。
この説明板を読んだら、道しるべ観音と 桜岩地蔵尊がこんがらかってしまいました?。寺同士でもめた話が1751年~で、裁決は地蔵尊片付けとなり、1762年以降に旧草津街道の岩屋橋南東に移された?。現在地へ引っ越したのが、昭和初期・・・。助四郎さんが道しるべ観音を作ったのが1808年ですが、リゾート開発の波がこの地にも押し寄せて来て、残っていた道しるべ観音を桜岩地蔵尊に集めたという事のようです。 本来の地蔵尊がどれなのか分からないのが不思議です。新旧合わせて100体の道しるべ観音が並ぶ一番奥にある、お堂に安置されていた石板に彫られていたのが地蔵尊かもしれません?中が暗くごちゃごちゃと、色々置かれていたので確認出来ませんでした。いずれにしろ、人間のご都合主義の為にあちこちへ移動させられた、仏様に申し訳ない気分になります。古い石仏( 観音様 )は、じっと見ていると、温かさを感じる良い仏様にみえてきます。
後ろに並ぶ新しい石仏は平成2年以降のものです。少し離れた所に、道しるべ観音復元建設委員会の石碑がありました。( 平成3年5月17日竣工 )
桜岩地蔵尊の敷地内の木々には、沢山の寄生木が生きています。多い木には10個以上もついていました。
naohiko tajima
拝見していて、一つ思い出しました。昔は地蔵菩薩は大地の恵み。虚空蔵菩薩は大空の恵みとして1セットで信仰されたそうです。我が国では地蔵菩薩が独自に信仰され(空也上人の所為?)、大空のほうは大日如来の領域になり、虚空蔵菩薩は影がうすくなったようです。でも、田舎ではまだあちこちに残っておられるようです。
宿り木・・ヒレンジャクが止まりそうですね。(爺)
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